1週間くらい前に、電車の中でふと感じたことなんだけれど、
今思い出したので書き留めておこうと思う。

これまでの私にとって
「信じる」という状態をイメージで表現すると、
抜身の刀剣が、暗闇で光っているような
集中と凝縮を感じさせるものだった。


それが、何と言うのか
春の朧な風景の中に佇んで、
のんびりと頬に風を受けながら・・・
というイメージで表現できるような
柔らかい「信じる」が
心の視界にポトンと落ちてきた
・・・ような気がする。


直感で、このことは自分にとって
大事な転換点になるだろうと感じたのだけれど
なんの?というのは、感覚的にはわかるけれど
言葉にするのは、ちょっと難しい。


すごく簡単にいうと、
私にとって希望を持つということが
以前はそれだけ難しかったのかも知れないと思う。


希望を持ち続けるには、自分自身に向かう
抜身の刀と常に向き合うような
テンションが必要だったということかな。


もちろん、今でもそういう部分はあるんだろうけど
メインになる内面のありようが、変わったんだと思う。
「信じる」ということに関する舞台装置の
背景画ががらっと変わってしまった感じ。


・・・この出来事は私にとって
どんな意味づけのできることなんだろうと
サビじょんをひく。

sabian


うほぅ(@@)
びっくりするぐらい、分かりやすい説明ざんす。


人生という舞台には、舞台に登場する役者、
舞台のストーリーを描く脚本家、
そして舞台装置がある。

新しく素敵な物語を書いても
新しく素敵な役者を集めても、
舞台装置がそのままでは
新しい物語は進行しないわね。


うん。
なんだか、嬉しい。