柱(はしら)石

amanogawa_cafe2005-02-27

柱石とは、クリスタルの形状やらの呼び名ではなくて、私が勝手に名づけたもの。何というんでしょう。自分の核にあるものと共鳴して、自分の芯を立てることと、その石が目覚めることがシンクロするような、そんな石を「自分の柱となる石」というような意味で「柱石」と呼んでるわけです。
・・・柱石とは別に、特定の「場」(家とか部屋とか)のホールドをしてくれるような柱となる石もあって、それは「大黒柱さん」と呼んでます。
今日は朝から怒涛の一日で、一日のうちに2週間〜3週間分くらいの密度の時間が過ぎ、最後の最後で、私の相方が遂に!自分自身の「柱石」に出会ったのです。かなり感動的なプロセスでした。ほろり・・・(T_T)。傍にいて、ほんとにたくさんのことを学びました。超高密度のエッセンスがイッキにダウンロードされたので、紐解くのはこれからゆっくり・・・、今のところは、26日のリーディングで自分が受け取ったものとリンクしながらじっくり熟成されているところ、という感じ。
でもでも、ほんとに素敵な瞬間だったな。言葉にしなくても、彼の奥深くでカチッとスイッチが入り、明かりがつき、輝きだしてくる喜びが伝わってきたもの。彼の柱石は、彼の美質である優しさやたおやかな受容性を結晶にしたような石。ほんとうに綺麗。
実は、『柱石』なんて、さも昔から呼んでるように書いているが、この言葉を発明(?)したのは、この石と彼の関係を肌で感じたからなのした。彼自身の魂の柱が立とうとしていることと、その石が手元に来ることが本当にシンクロしてるんだ、と感じられたのです。
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・・・で自分にとっての『柱石』は?と考えてみた。
実は私、1月にはいってから「手放した方がいいのだろか?」と迷っていた石が2つあったんです。どちらもほんとに素敵な石で、石好き達が鵜の目鷹の目(というと人聞きが悪いですが同類ということで許してください・・・)で物色している中でも全く買い手がつかず、まるで私を待っていてくれたかのように残っていた石なのです。
でも、「自分だって捨てたもんじゃないゾ、なかなかのものじゃないか」という気持ちと正反対のベクトルを心の奥深くに引きずっていた私は、「私ではこの石を活かしてあげられない。私の手元に居続けるのは、この石にとって可能性をつぶすようなことになってしまうのではないか」と迷いを持っていたのです。でも。そう迷い石に確認を求めるたびに「ここ以外には行かないよ」とうい返事。それが重荷でもあり申し訳なくもあり。
けれど、そういう循環は昨日で終わり!にしたので、その2つの石も間違いなく私と一緒にいてくれる石なんだと実感できました。
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ところで、この2つを入れると、私にとって『柱石』になる石は3つある。はて?これは散漫ということ?と思った瞬間、違う答えがやってきた。「天・人・地」それぞれと繋がるための柱なんだよ、という。・・・そうかー!すごい!やっとわかった!
今まで、天と人と繋がる2つの石のことは、腰がひけながらも「そういう石だ」ということを感じていたし、石の核とも繋がっている感覚がどこかにあった。でも3つ目はずっと謎の存在のまま。他人様な感じがずっとあった。
それが「地」と繋がる柱石なんだと気がついて、今手元にはないその石の核と、ゴゴーンと繋がった実感。・・・嬉しい。
そもそも、26日のクリスタル・リーディングを受けようと思ったきっかけも、「自分は大地に受け入れてもらうに値しない人間なのだ」という痛みを解放したいと思ったから。その流れが「地と繋がるための柱石」の気づきに繋がったんだねぇ。ブラボー☆
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そんな今日、初めてのクンツァイトを購入!
こんな今日のsabianカード蠍座9度』仕事中の歯医者:現代文明において虫歯は避けることの困難な疾患だ。虫歯にならざるをえない食物が多すぎるからだ。歯医者は、それを治療する。つまり、自然な状態ではとても乗り越えることのできない障害や無理な要求を、優れた技術で解決していく能力。新しい世界にむかって、古い世界を捨てる傾向の強い蠍座6度からの流れは、ここでは、技術や才能をもって、過去の常識を捨てる、という形であらわれやすい。不可能を可能にする発明の才能なども暗示する。また歯は個人と社会との接点などといわれ、この度数の持ち主がたびたび遭遇する、社会との接点の再調整、治療も意味する。苦痛と、それを乗り越える行為が暗示されている。なにか専門的な優れた技術を習得するのがよいと思う。
(No. 44/72区分(蠍座6度〜10度)「投機」 冒険が創り出すダイナミックな感動。勇気を持って、障害を突破することで、大きな変化を体験する。いかなる困難も、乗り越えられないことはあり得ないと思う。)