フローライト・ライト

amanogawa_cafe2005-02-24

フローライト。むしゃぶりつきたくなるほど「大好き!」という石ではない。のにも関わらず、何かというと手にとっている機会の多いフローライト玉のこのコ。大きさが丁度よいということもあるけど、頭で理解するというプロセスに知らず知らずのうちに入り込んでる私には大事なパートナー石なのかも知れないなぁ。
私は原石の魅力に取り付かれて石好きになったので、磨き石にはどこか「人工だし・・・」といった偏見を持っていた。が、2年ほどまえ(のハズだけれど曖昧)にある石のペアシェイプの磨きを迎え入れてから、じわじわと磨き石の魅力にはまりだし、最近は彫物系もなかなかよいなぁと思い始めるところまで来ている。原石もよく、磨きもよい。どちらも本当に魅力的だ。
ところで、石によってはその「結晶構造」により、完全な天然ものなのに信じられないほど美しい幾何学的な構造を体現しているものがある。天然なのに磨きみたい・・・・、そんな石。あ、でも球形に自然に結晶するものはないかな?マリモとかならまるくなるけど(^^;)。有機生命体は逆に完全な直線とか平面を持たないし。

・・・ふーん、そう考えると直線的な幾何学構造を自然と持つクリスタルを、有機生命体の特徴である「丸み」へと近づける作業というのは、なかなか興味深いですね。幾何学形状での統合プロセスというか。ちょっと思いついただけですけど!もっともクリスタルの幾何学構造を創っている原子は、また円運動とかしてるんだろうか。理科ではそんな風だったけど、実際どうなんでしょう。
明日のテストのベンキョはこれからです。昨日は今日のテスト対策で筋肉200枚分の名称・分類・起始・停止・作用を頭に詰め込めるだけ詰め込んだので、何となくやる気でません。フローライトの光にしばし浸ろう・・・。

<追加の日記>
キネシオロジーでフラワーエッセンスを選ぶセッションをしている人のセッション内容の説明を見て、しばし沈思。・・・数年前、キネシでフラワーエッセンスを選ぶことで、自分や他の人の魂の物語を紡ぐための「鍵」を引き出していけることが興味深くて、あれほど夢中になって熱心に探求していたのに、今はなぜそのプロセスをあの時のように「信じ」られないのだろう?キネシを信じられないわけではなくて・・・。「物語る」ということに対しての信じられなさだ。だから、あの頃のように確信をもって「物語る」プロセスをキネシでサポートすることができないと感じるんだと思う。
ナラティブ・セラピーという言葉がとりあげられるようになった現在から遡ること10年以上。とあるメンタルクリニックデイケア・ナイトケアで、摂食障害の自分たちを「物語る」ことを、私たちは本当に熱心にやった。その「物語」は、いってみれば「シンデレラが結婚するまで」の物語だ。自分が抱える痛みや制限を理解するための物語を物語りつくした後、つまりハッピーエンドのその後で、私たちはどんな物語を紡げばいいのだろう。このテーマの核にあるものに、今私は焦点があわせられずボンヤリとしか見えない。その核をはっきり見ることが出来たら、物語ることを再び信じられるんじゃないか、とそんな予感がした。
今私は、「物語る」ことが持つ正と負の力を前にして、ちょっと立ちすくんでいる状態なんだなぁと自覚。意識として理解できるのは、他の人の物語を引き出すことへのためらいでもあるが、それは自分自身にもあてはまることなんだろうな。でもきっとこの先がある。今週末のクリスタル・リーディングを楽しみにしよう。リーディングとは「物語る」ことでもあるわけだし。